今宵も山で猫は踊る

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踊る猫というか猫又を取り巻きとするのは化け猫のお約束。百種怪談妖物双六から。 By:一寿斎芳員/Source:国立国会図書館デジタルコレクション

醤油屋の猫と手ぬぐいと

神奈川県は横浜市泉区。その市営地下鉄の駅名は「踊場」。改札を出ると、駅構内の壁には、地名の由来を示すこんなポスターが貼られている。

猫が踊るという伝承は、わりとあちこちにあり「猫おどり」とか呼ばれている。踊るためには、なんらかのアイテムが必要な設定が多い。やっぱり猫だから、踊るにはマジックアイテムでも無ければちょっと無理、ということなんだろう。そのアイテムもバリエーションがあって、愛媛では箒らしいが、よく聞くのは手ぬぐい。ここ戸塚の猫も手ぬぐい派だったようだ。で、その猫が踊った場所がここ。だから「踊場」。これが地名の由来という。・・・って、え?

猫がほんとうにに踊ったかどうかもあるが、まあそれはそれとする。伝承では猫が踊った場所は「村のはずれ」としか言ってない。でも、村のはずれならば、戸塚宿を中心として360度全方向のどこでも可能性があるわけ。なのに、踊ったのは、なんでここだって言えるの?

踊り場のロケーション

まず、踊場の場所を地図で確認してみよう。踊場は、かつては小田原にまで連なっていたという岡津道と、戸塚宿から東海道を離れて神奈川における山岳信仰の中心地のひとつである大山へ至る大山道とが交叉するところだ。また同時に、中田、汲沢、矢沢、岡津という4つの村の村堺でもあった。

地図はGoogle Mapから 文字と線は筆者追記

戸塚のはずれか、といわれれば、まあ、そう、外れの範疇にいれてもいいかもしれない。なんといっても、戸塚の本陣からは2kmも離れていないのだから。だけど、戸塚と踊場との間には矢沢村がビミョーに入りこんでいるものだから、戸塚の「村はずれ」とは素直には言いがたい。それに、上でも書いたとおり、戸塚の全周ぐるりに村はずれは存在するのだから、踊るのはそれこそ、柏尾川の反対側だってよかったはずだ。だから、これだけで猫が踊ったのはここだと断言する根拠にはならない。

では「醤油屋」という設定から何か追えないだろうか。しかし残念ながら今現在、戸塚に水本屋という屋号の醤油屋は無いようだし、大正2年~14年の間に発行された「大日本酒醤油業名家大鑑」にも、それらしい醤油屋は製造、卸、小売りのいずれにも出てこない。残念。この路線もデッドエンドだ。

供養されたものは何か

困ったときは、先人の知恵に学んでみよう。「戸塚郷土誌」には 「踊場は市に伴ふた行楽場であった」と書かれている。この「市」は、どうやら戸塚にあって、その行楽場が踊場であった、ということらしい。行楽場から「踊場」になる理屈が書かれていないのだが、行楽場なんだから当然踊り子がいた、ということだろうか。だがしかし、猫との関連については書かれていない。

それでは「戸塚の歴史散歩」ではどうか。こちらには、踊場に関するふたつの伝承がのせられている。ひとつは、先にあげた醤油屋の猫の話。もうひとつは、また違った話だ。

伝説では、そのころ「猫じゃ、わしゃ猫じゃ、五郎兵衛の猫じゃ、わしゃ猫じゃ」と歌いながら踊り狂っている若い娘が夜ごとに出没し、また、戸塚の宿場では豆絞りの盗難が続いていたが、この供養塔ができてからはそのようなことが無くなったという


「戸塚の歴史散歩」戸塚の歴史散歩編集委員会 編 戸塚区郷土史跡研究会出版

アイテムの手ぬぐいは健在。しかし、踊っているのは猫ではなく、娘。猫というのはあくまで自称。ただ、踊り×猫というキーワードはそろった。そして新たなキーワード「供養塔」。供養塔は、今もある。

場所は踊場駅のほど近く。ただし現在の場所は移転したもので、かつては、今日の地下鉄駅4番出口付近にあったそうだ。

供養塔の傍らにある、移転の際に新しくされたらしい由来書きには、地名の由来として踊る猫のことは書いてある。が、供養については、単に「供養」としかない。踊る猫の供養とか、「戸塚の歴史散歩」に書かれたように「猫じゃ猫じゃ」と言いながら踊る娘の供養とか、そんなことは少しも書いていない。だから、何に対する何のための供養かは依然としてはっきりとしない。

もっとも、供養塔が移転する遥か昔に、その由来は失われていたのだろう。「昔話伝説研究 21号」には踊場の供養塔の由来の伝承が記載されているが、一つは、追剥ぎや辻斬りに殺された人の霊を慰めるための供養塔だといい、他の一つは、鎌倉攻めの時に参加した一般の人の供養塔という。鎌倉攻めといえば新田義貞の時代、1333年の出来事だ。そしてどれも、猫にも踊りにもかすりもしない。

どーなってるんだよ、と「戸塚の歴史散歩」に戻ると、こうも書かれている。「何の娯楽にも接することのできなかった村の若者たちが、せめてもの楽しみをこうした村はづれに集まって、お互いに踊りあかして、村相互の親睦をはかったのを、猫にたとえたものではなかったのだろうか」。つまり、踊りと猫との関連付けを諦めたわけだ。

まあ実際は多分そんなところなのだろう。wikiにはやたら詳しく書かれているが、この記載のように「踊場」で、単なる楽しみではなく一種の宗教的・儀式的な踊りが踊られた可能性も否定できない。

それでも、と思う。地名の由来は、これらではない、第三の道があるのではないか。

第三の道

東海道五十三次 戸塚宿 By:歌川広重 Source:https://www.mfa.org/

箱根駅伝を見ている人は想像がつくかもしれないが、「花の二区」の戸塚は結構勾配がある。踊場は、戸塚から大山道に沿ってさらに山を上る途中に位置する、やや平らな場所だ。昨今の住宅開発で地形は多少は変わっただろうが、面影は今日も残っている。国土地理院の陰影起伏図を見てもらえば雰囲気はわかりやすいだろうか。

何かが実際に踊るかどうかは別にして、このような地形の場所を「踊場」というのは一般的なようで、日本のあちこちに存在し、またその土地の文化風土にあった呼び名をつけられている。例えば「熊の踊場」とか「天狗の踊場」とか。「天狗の踊場」なんてのは、青森県、茨城県、群馬県、同じ神奈川県は横浜市だけど踊場のある泉区ではなく緑区などにもある。どうやら天狗は、想像以上にあちこちで踊っているようだ。

文明開化にだって順応する by:月岡芳年 from:wikimedia

このような地形を、熊や天狗だけのものにしておく理由はないだろう。長野県の白馬には、そのものズバリ「猫の踊場」だって存在するのだから。

地名の由来の由来

つまり、こうだ。もともとこの地は、純粋に地形的な理由から「踊場」と呼ばれる場所であった。これがなぜ醤油屋の猫の話になってしまったかといえば、地名とは別の理由でこの地には供養塔が建てられ、その由来を説明するための物語が、以下3つのフェーズをへて地名の由来へと置き換わった、とは考えられないだろうか。

  1. 供養塔が建ち、その由来が忘れられる
  2. 供養塔の由来が多数創作される
  3. 創作された供養塔の由来のうち、地名と関連する要素のあるものが地名の由来として置き換えられる

まず第1フェーズ。この段階では、地名が「踊場」である必要はなく、別の地名であっても、あるいは決まった地名がついてなくても問題ない。とにかく、今日踊場と呼ばれる場所に、いかなる経緯でか供養塔が建てられた。それは、鎌倉攻めの際に亡くなった死者の無念を収めるようなネガティブ供養かもしれないし、あるいは大事な跡取りを救った飼い犬に感謝するようなポジティブ供養かもしれない。今となっては理由を知る由もないので、追及するのはやめておく。だけど、追いはぎが出るような寂しい村はずれの街道沿いという場所がら、やはり何かしら怪異をおさめるようなネガティブ供養であった可能性のほうが高そうだ。供養塔が建てられた当初は、家族や地域の間で、元となった物語が語られていただろう。文字で残されることのなかったその由来はしかし、やがて忘れられ、失われた。

猫にきいておいてくれればよかったのに

次いで、第2フェーズ。この段階でも、地名はまだ「踊場」である必要はない。人間というのは不思議なもので、謎を謎のままにしておくよりも、理由を語るストーリーを作るほうを好む。例えば、「お金持ちなのは前世で功徳を積んだおかげ」とか「疫病が流行ったのは憤死した××の祟り」とか「山で迷ったのは狐に化かされたから」とか。なぜこんなことをするのかといえば、そうすることで理不尽に対する気持ちが収まるからだろう。これは何も近代以前に限るわけでもなく、今日でも、原因も対処法もわからない現象に対し専門家が「これは△△です」と名前を付けることで同様の効果を得ている。この投稿だってまあ同じようなものだろう。

で、旅人の目につく街道沿いの、村はずれにポツンとある供養塔に、同じことが起こらなかったとは考えづらい。大山道をゆく旅人が宿をとり、旅人同志であるいは宿の亭主と「あそこの供養塔はなんだろうね」という会話をしたかもしれない。仮宿の気安さ、その時々の流行りを取り交ぜながら「いや、汲沢の村で聞いたんだけどね」とか「麹屋の話なんだけどさ」とか、いくつもの物語が語られたことだろう。追剥ぎや辻斬りに殺された人の霊を慰めるとか、鎌倉攻めとか、猫じゃ猫じゃと踊る娘とかは、今日も残るそのわずかな端切れだ。

端切れつながりで、15世紀ペルーのチュニックの一部 ネコ科の動物は力と権力の象徴とされた from:Source:Art Institvte Chicago

さて、第3フェーズだ。この段階では「踊場」という地名が固定されている必要がある。先に述べたように、人は理由を語るストーリーを作りたがり、また辻褄があっていればいるほど「それっぽいよね」となる。だから「踊場」という地名に建つ供養塔の由来として、「踊り」に関係するものが好んで選ばれたのはありそうな話だ。やがて、全国各地に類型がある人気の伝承「猫おどり」で、かつ地名ともリンクする醤油屋の猫の話が、本来は供養塔の説明であった伝承にもかかわらず地名の由来として換骨奪胎された。しかも猫おどりは、消える手ぬぐいという謎解き要素もあって、後発であるがゆえにか物語としては洗練されている。語る側としても聞く側としても、追いはぎの話よりかはよほど盛り上がったに間違いない。やがて時は過ぎ、地下鉄駅の建設の際に「醤油屋の猫」の伝承が地名の由来として取り上げられ、活字として残されたことで固定化された。

白馬の「猫の踊場」には踊る猫を猟師が鉄砲で撃ったという伝承が残っている。戸塚は、山とはいえ白馬ほど深くないからかそんな物騒なことはなく、踊る猫の見物に人々が集まったなんてバリエーションも残っている。そこまで意図していたかは不明だが、それなりな額を投資して地下鉄を整備した横浜市が、この物語にあやかりたいと思ってたとしても不思議ではない。

文化は生きているから、同じ形で存在し続けることはあまりない。踊場をめぐる伝承も、かつてはそうだったのだろう。猫というアイコンを手に入れたからには、固定化するのも必然だったのかもしれない。


Reference

  • 泉区散策ガイド 泉区の古道
  • 「大日本酒醤油業名家大鑑」東京酒醤油新聞社 編 東京酒醤油新聞社出版
  • 「戸塚郷土誌」戸塚町郷土研究会編 戸塚町郷土研究会出版
  • 「戸塚の歴史散歩」戸塚の歴史散歩編集委員会 編 戸塚区郷土史跡研究会出版
  • 「國立公園 14」国立公園協会 出版
  • 「昔話伝説研究 21号」 昔話伝説研究会発行

First posted date : May 14,2023

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